演じる人(グループ)と見る人(グループ)に別れて、演じる人(グループ)が行なったことに対して、見るグループが意見を述べるという練習をたびたび見かけます。
この練習で大切なのは、実は見るグループの「見る力」だと思っています。「見る力」がなければ演技は上達しないのではないかと思えるぐらいです。しかし、こうした場での「見るグループ」からの意見は、とても優しいのが通例です。自分の演技に対しても意見をいわれるだけあって、できるだけいい所を見つけて言ってあげる(そのほうが互いに気持ちいい)となるからでしょうか。
しかし、実際の舞台ではお客さんは割と厳しいものです。おそらく多くの観客は意識して厳しいのではなく、退屈な演技には「すなおに」退屈な態度になっている、ということだと思います。ですので練習中に「見る」立場になった時には、実はこの「知り合いでもなんでもないお客さん」の視点で、あまり歩み寄ってあげず自然に見ることが大事なのだと思います。
とはいえ「概ね退屈で、いい瞬間や、参考になる瞬間はなかった」などと振り返りの場で言ったら、しらけたり、憎まれたり、傷つけたりする可能性があるので、そこは気を使うところだとは思いますが、自分の本当の気持ちに嘘をついて、「本心」よりワークショップの雰囲気作りに引っ張られてしまうのは問題です。できるだけ高い水準で批評的に演技を見る目を養い、自分の素直な心にひっかかってこない演技には心の中ではっきりと「退屈」と判断し、なぜ退屈なのかを考えることが大切なのだと思うのです。演技者が自分を肯定してもらいために、練習の場ですら(身内の目線にハードルを下げて)できるだけ肯定的に見る癖をつけていると、自分が何を目指しているのかがわからなくなってきます。厳しい目で人を見つめるとき、その視線が自分に返ってきてつらくなるかもしれませんが、その気持ちがお客さんの気持ちだとすれば、上手くなるためには、それを冷静に受け入れることが必要ではないでしょうか。
また、大切にすべきは「自分の感性」であって、他人や先生が「いい」というものをすぐに受け入れないことだとも思います。自分が「いい」と思うものを、他人が「いい」と言わなかったとき(その逆でも)、それをなぜかと考えることで、何かが前に進む気がします。そして、そうしたことこそ、ワークショップで行なわれるべきことだと思うのです。