2013年1月28日月曜日

俳優訓練・俳優教育について


前回投稿のブログに関係して、役者の練習について講師をして頂いている、平岡秀幸さんのご意見を紹介します。(注:これがそのまま当講座のカリキュラムに反映されるわけはないことを予めご了承ください。俳優訓練のありかたをどのように考えるか、参考の一つにして頂ければ幸いです。)
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1.俳優教育の流れ

 わが国には俳優教育に関して二つの流れがあると思います。
 伝統芸能と現代劇です。
伝統技能は師弟関係によって芸が受け継がれていきます。厳しい修行を経てプロの演じ手になっていきますが、一般の人はお稽古事として習うこともできます。
現代演劇にも師弟関係はもちろんありますが、制度としての徒弟制度はなく、主として養成所や演劇学校といったシステムのなかで勉強していきます。
お稽古事としてはあまり成立しないようです。
伝統芸能には「型・形」があり、そこから外れて自由に演じることは出来ません。型を習得するためには誰かから習う必要があり、師弟関係が生まれます。
もちろん型が全てではありませんが、師弟関係を通して型を習ううちに、様々なことも習い身につけていきます。
現代演劇には決まった形式がなく自由度が高いので、誰かに習わなくても自由な発想で劇を作ることができます。
だからお稽古事としても成立しないのでしょう。
平たく言えば、お月謝を払わなくても演劇はできます。
しかし、俳優としてより高度な表現を目指すならば、専門的な知識や継続的な訓練が必要です。そこで、俳優教育という課題が生まれます。
別の例を挙げれば、料理は誰でもできますが、専門的に料理を学ぼうと思えば料理学校に通わなければならないし、師匠について修行もしなければならないということです。

現代演劇では、主に劇団の養成所が俳優教育の場でした。
日本で現代演劇(新劇)が誕生した当初は当然新劇専門の俳優などいるはずもなく、少人数で出発しました。
演劇を演じるにしても、手探りで勉強しながらやっていたようですが、そのときにお手本にされたのが、モスクワ芸術座の演技であり、スタニスラフスキーのシステムでした。
そこからさらに分裂を繰り返し、仲間同士で演劇を作るための劇団が生まれ、現在のような劇団システムが続いています。
したがって養成所も「○○劇団付属俳優養成所」となったわけです。


2.俳優養成所

 俳優養成所について簡単に説明します。
 養成期間は1~3年で、学校のようにカリキュラムが細かく決められています。
 3年間通してカリキュラムを組むところもあれば、最初の一年を本科として、修了生の中から認められたものが、専科に上がりさらに専門的に勉強するシステムのところもあります。
 先ほど「より高度な表現を目指すならば、専門的な知識や継続的な訓練が必要です。」と書きましたが、養成所で高度な表現を学ぶわけではありません。
 それは各人の資質にもかかわる問題です。
 養成所は高度な表現に到達するための、基礎を学ぶところであり、そこにこそ養成所の意味があるのです。
 劇団の養成所の場合、受け皿としての劇団は在りますが、3年間の養成期間を終えたからといって、必ず劇団に入れるということではありません。
 しかし昨今養成所を希望する人が減り、どんどん養成所が閉鎖されているのも事実です。

 では、養成所でどのような授業が行われているのか、私自身の経験を中心にまとめてみます。
 私が養成所に入ったのは、1979年、今から34年も前ですから、現在とは演劇状況も社会状況も違っていたのは事実です。
 入所したのは、京都にあった老舗劇団「くるみ座」の付属養成所である「毛利菊枝演劇研究所」でした。
 東京の大手劇団の養成所と比べれば、カリキュラムは少し少なかったと思いますが、充実した内容でした。
 養成期間は3年間。最初の1年が本科で、2・3年目が研究科と呼ばれていました。
 本科の授業は週5回、朝9時から午後1時まで。9時からジョギングと体操・発声練習。10時から講師による授業があり、11コマ(3時間)です。  
前期は何人かの講師が入れ替わり、シーンスタディー・朗読・戯曲鑑賞・国語・演劇論等。
また前期を通して伝統芸能・狂言があり、装束を着けて能舞台で発表会をします。
特別講座として、日本舞踊と殺陣もありました。
後期は、終了公演に向けての稽古。そして3月に終了公演。
又、前期後期を通してモダンダンスの教師による身体育成のプログラムがありました。
本科終了後は、希望者の中から選抜されたものが研究科に進みます。
研究科の授業は土・日のみで、劇団のベテラン俳優によるシーンスタディーと朗読。平日は劇団の公演の稽古に参加しながら、演技やスタッフワークを学びます。
今から思えば、考えられないかも知れませんが、3年間の研究生生活の後、認められれば劇団研究生となります。数年して認められれば準劇団員となり、さらに数年して認められてやっと正規の劇団員となります。
 もちろん養成所に通う間は、他の劇団の公演には出演できません。そもそも舞台に立てるレベルではないということです。


3.俳優には何が必要か

 養成所について書いてきましたが、このシステムは現在の世の中にはそぐわない部分も多いと思います。かつての養成所も人が集まらず、閉鎖されている現状がそれを物語っています。
 しかし、時代が変わろうともテキストを読んだだけでは俳優にはなれないし、俳優の基礎として身につけなければならないことは、変わりがないと思います。
俳優教育を系統的に考える養成所システムにしろ、短期のワークショップにしろ、俳優教育を考えるならば、俳優には何が必要なのかを考えなければなりません。

俳優が演技をする上で必要なものを大きく二つに分ければ、演劇史や戯曲解釈のような教養として身につけなければならないものと、実際に演技に応用できる実技に分けられると思います。
演劇的教養も身につける必要があると思いますが、書籍などからも知識として得ることはできます。
ここではおそらく劇研のラボで求められるであろう、実技について考えます。


○身体

舞台に立つということは、観客の前に身を置くということです。自分の身体を観客に見せるということです。
そこでまず身体が問題となります。
俳優として必要な身体とは、どのような身体でしょうか。
俳優は全員がアイドルやスターのように容姿端麗である必要はありません。
また、怪力も必要がないし、ダンサーの様に動き回れることも、サーカスの様なアクロバチックな動きも必要ではありません。
俳優の身体に必要なことは、全身が繋がって機能するということです。
全身が繋がって機能してこそ「心」や「気持ち・感情」といわれるもの、或いは「言葉」と身体が繋がります。それが表現するということです。
全身が繋がった状態の身体を、別な言い方をすれば、「存在感のある身体」とか「表現的な身体」といいます。
そのような身体から生み出された表現が、観客に対して的確に伝わるともいえます。
 このような身体は、大きな舞台で大きく見せるということだけではなく、どんなに小さな会場で観客が間近に居ようとも、俳優がフィクションの世界でリアリティーを生み出すためには不可欠なものです。


 ○声

 声もセリフを届けるための道具として重要です。
 入門編として発声練習があるのは当然のことです。
 俳優の声は大きいだけではだめです。セリフが聞こえるということと、セリフが届くということは質的に違います。
 「身体」のところで「繋がる」という言葉を使いましたが、声についても同じことが言えます。
 声と体が繋がっているということです。
 繋がった身体から発せられた声は、身体と繋がっています。そういう声は、相手役と繋がることができます。
 相手役と繋がって初めてそこにドラマが生まれ、そのドラマが観客と繋がっていきます。
 私は基本的な考えとしては声と身体を区別せず、声も身体の一部だと考えていますが、実際に指導するときには分けて行った方が効果的だと思います。

 ○セリフ術

 私たちが通常手にする台本・戯曲はわずかなト書きとセリフによって書かれています。
 このセリフに血を通わせ肉付けをするのは俳優の仕事です。
 もちろん、私たちは普段から普通に言葉を使い会話をしていますが、そのまま舞台に上がってもそれが「表現」とはなりません。
 作者の書いた言葉を的確に表現し、伝えるためには技術が必要です。
 「豊かな感情表現」などといいますが、いくら気持ちや感情を込めたからといって、技術の裏打ちがなければただの独りよがりなセリフにしかなりません。




 以上、「身体」「声」「セリフ術」について書きましたが、他に俳優に必要なものは「想像力」「即興力」などが考えられます。
 しかし想像力は個人の資質によるところも多いと思いますし、普段の生活の中で培われるものであり、想像力を鍛えることに特化した練習はあまり意味がないと思います。むしろ、稽古を通じて総合的に培われるものでしょう。
 即興力も基本は身体だと思います。繋がった身体から生まれた自然な反応が、そのときの身体にふさわしい言葉を生み出します。
 演技の基礎(基本や入門編ではありません)は、「身体」「声」「セリフ・言葉」の三つにつきるのではないでしょうか。



4.俳優訓練

 実践的な訓練方法をここで書いてもしようがないと思うので、訓練の基本的な考え方を書きます。

 訓練でまず大切なことは、時間をかけるということです。
 3ヶ月あれば芝居を一本作ることが出来ますが、3ヶ月で俳優にはなれません。まず、時間のかかることだということを念頭に置かなければなりません。

 訓練の内容ですが、訓練を分析的に細かく分類することは困難です。
 発声に特化したとしても、声だけですむものではない。セリフを発したときに生かされる声でなければならない。つまりセリフ術とも関連してくる。
 さらに、声を出すための身体を考えれば、それはそのまま舞台に立つときの身体でもある…、といった具合です。
 そのように、俳優の訓練は総合的に考えていかなければなりません。
 確かに実際の訓練は、発声なら発声に特化して行われます。しかし、さらに別の訓練が並行して行われなければ意味がありません。
 発声訓練をシーンスタディーに生かしながらレッスンすれば、状況によって声の調子が変化することも学べるだろう。
 身体の訓練をしておかなければ、シーンスタディーのとき、板の上に立てない、声も出ない。
 そういうことの繰り返しで、俳優として必要な要素が身についていくのです。

 俳優という存在そのものが、様々な訓練の総合的な結果であるということです。

 昨今、ワークショップが盛んに行われていますが、本当に俳優養成に繋がっているのか疑問があります。
 まず、期間が短いこと。2、3日で身につくものはないでしょう。何かヒントを掴めれば良いということでしょうが、それとて基礎がなければヒントを生かすことができません。
 もう一つ疑問に思うことは、演出家(劇作家)によるワークショップが多いことです。
 演出家はそれぞれ自分のイメージを生かすために、自分のスタイルを持っています。作品へのアプローチも独自のものを持っています。
 そこへ基礎訓練の出来ていない自称俳優が参加し、新しいスタイルや方法に触れて喜び、それが俳優としての成長と勘違いすることが怖いのです。
 例えば、非常に長い間を要求する演出家が居るとします。
 俳優が間をとると、もっと長くと要求します。さらにもっと長くと要求します。
 俳優にとっては初めてのことだし、しんどいことです。俳優は「なるほど、こんなやりかたもあるのか。」と納得し、長い間もあるんだという知識を得ます。
 その演出家にとって間の長さは大きな問題でしょう。しかし、俳優にとって、つまり実際観客の前に立ち、セリフをしゃべり、動き回る俳優にとって、さらに言えばその劇世界を実現しなければならない俳優にとって、いかに間を伸ばすかではなく、いかに間を埋めるかが問題なのです。
 演出家の指示に従うのが俳優ではありません。演出家の指示に応えるのが俳優です。

 演出家のワークショップは俳優にヒントを与えることは出来ても、直接レベルアップに繋がる可能性は低いと思います。
 俳優の訓練には、俳優の訓練を経験した人材が必要です。
 


5 現状と今後の方向性

 以上、俳優訓練について思うところを書いてきましたが、現状は厳しいようです。現在は、俳優教育の機関として養成所が敬遠される傾向にあり、養成所自体が成り立たなくなっています。
 すぐれた俳優に育って欲しいが、ワークショップ形式のような短期間の講座でなければ人が集まらないというジレンマがある。
 これは演技を学ぼうとする人たちの意識の低さにも問題があると思いますが、経済的な状況も原因の一つだと思います。
 そこでラボでどのようなことが出来るのかを考えてみました。
 実際の運営面では困難もあるかと思いますが、一つのたたき台として提案します。

・従来3ヶ月のスパンでクラスを組んでいたが、これを廃止する。
・曜日ごとに違った講座を設け、毎週継続的に開講する。
・受講者(登録制)は好きな時に好きな講座を受けられる。
・1コマごとに料金を設定し、一月分の前納者には割引料金を設定する。
・講座の例
   月曜日  声と言葉のクラス。
        第一月曜は発声に特化し、他の日は朗読や長台詞等。
   水曜日  エチュードのクラス。
シーンスタディー・即興等。
   金曜日  身体のクラス。
   *公演クラスは三つのクラスを一定期間受講した者から選抜する。
   *各クラスの講師は固定せず期間を区切って交替する。


 以上、従来のラボのシステムを少し変えた形で考えました。
 もう一つ、新しい提案があります。

*ラボの一つの形としてのアイデア
 劇団に呼びかけてワークショップを企画し、提供する。
 「こんなプログラムを提供できる講師がいます」と劇団宛に情報を流す。
 劇団単位あるいは複数の劇団合同でスケジュールを調整し、講師が劇団に出向いてワークショップを実施する。
 いわばワークショップの出前であるが、会場は劇研を使っても良いし、その場合は会場費が劇研の収入となる。
 劇研は紹介料として講師料から一割を徴収する。
 内容は劇団と相談しても良いが、あらかじめ雛形を作っておく。

以下、例として。
各コースとも1コマ2~3時間とし、4~5コマで完結。
  例えば、金曜夜1コマ。土・日で2コマずつ。
◎発声コース
  発声のポイントから、普段の発声練習の仕方まで。

◎セリフ術コース
 伝えるということを基本に、言葉の立て方、抑揚のつけ方。
 相手を想定しての間の取り方、等。

◎身体訓練コース
 舞台に立つとはどういうことなのか。

◎エチュードのコース
 台本を用いたり、即興で演じたりして、直接表現力を養う。

 等、講師によってもっとバリエーションは広がると思います。
 

2013年1月26日土曜日

訓練とワークショップについて

継続的な「訓練」の場を設けようと、こうしたワークショップ(講座)を始めて7年半が過ぎました。私たちの願いは「演技の向上」そしてそれが作品の向上につながること。そして、演技をする皆さんが、演技に誇りをもてることです。
 そんな中で、私たちはどのような練習方法を提供できるのか考えてきました。指導する手法で分けるなら「訓練型」の講座にするのか、「気づき」を促すワークショップ型の講座にするのか・・・そして、今なお試行錯誤の中にいます。「気づき」とは演技に対する意識を高めたり、創造の面白さに気づいてもらうというような意味です。「訓練」は「先生」が「指導」し、繰り返し練習することで、技術を体得してもらうものです。ちなみにワークショップはリーダー(ファシリテーターと呼んだりします)が参加者と対等な立場で行ないます。参加者が演じることにまつわる様々なことを、ワークを通じて「自覚できる」よう導く点に重きを置いています。訓練型とワークショップ型どちらがいいと一概に言うことはできません。それぞれに一長一短があるのは当然なのです。まさに両方の良さを活かしながら、最も効率のいい方法を今も探っているわけです。
 さて、開講当初は訓練型の必要性を強く感じていました。伝統芸能の役者さん、フルタイムの養成所出身の俳優さん達が、かなりの分量の訓練を行なっているのを考えても、そして彼らが明らかに鍛えられた身体と表現を獲得しているのを見ても、単純に訓練の差を感じてしまうのです。
 一方でアルバイトやお仕事の傍ら演劇活動を続けるみなさんに、十分な時間が無いのも当前です。従って限られた時間の中でどれだけ効率的に演技力を向上させるか、その期待に応えるのが当面の使命だと思っています。

 さて、そもそも「本番の舞台を想定せずに訓練だけを行なうのは、どうも気乗りがしない」というのも役者の本音なのかもしれません。しかし、日頃の練習(意識の持ち方も含めた訓練)が舞台の質を向上させ、ひいては演技に自信や誇りがもてるようになるのも真実だと思うのです。

2013年1月22日火曜日

すべてはリアクションである。

スキルアップクラスを覗きいった報告です。

×する
○なる

何かをする演技ではなく、「なる」演技を目指すこと。
こんな日記があるとする。
「昨日、マクドでごっつい美人を観て、すごくはしゃいでしまいました。」
この日記を人前で読む時に、どんな意識を持ちうるのか/考えうるのか。

いま → この日誌を読む時点
マクド → マクドにいたとき
書く → 日記を書いた


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補足;いまとは、現在形で、プレゼンテーションしている意識。マクドとは、過去形で、その出来事を体感しているときの意識。書くとは、これまた過去形だが、出来事を回想して、それを意識化している時の意識。だと思います。
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上記3つの意識を、どのようにコントロールするのか? 濃度の違いをどのようにしていくのか。単純化して演じると、芝居がつまらなくなるのではないか?という仮設

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補足:単純化とは、過去の再現を熱心に行なおうとするあまり、現在形の感覚を忘れてしまう(我を忘れてしまう)といったこと。演じる上で、いまを忘れないということが重要だという話が以後続きます。
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今 → 俳優、セリフを知っている劇 → 役柄、セリフを知らない


上記二つの状態を、どう意識するのか?しかし、通常私たちは、このような分散をしているはず。

この時大事なことは、今にいることby木村さん(インプロの講師)
今の感覚に従うことの重要性

ここで、田中さん突然短いテキストを書く。
「おはよう」「おはよう」「げんき?」「うん。ありがとう」


それを即座に参加者にやってもらいます。


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ファシリテート的補足★参加者の積極的な参加を、躊躇なく、促すことの重要性。ここまで短いテキストで、とても簡単なものだからこそ、参加者の能動性が高まる。そのあと、すぐにフィードバックもできる。
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多少なりとも、何らかの演技プランを考えたみなさん。そうしたプランを考えたり、この場の空気を捉えたり、そういった全てが、俳優の意識である。しかし原理的には、舞台上でそういった事を考えてはいけないという側面もある。

木村さん(インプロの講師)がやっていたことを意識すること。
空間を意識、その場にいるひとを意識。

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所感:セリフが入っている状態が俳優としての在り方。しかし、役柄としての在り方としては、セリフは入っていない。セリフを思い出そうとしたり、ここはこのように動くんだったっけな、といった事を意識することは、原理的に舞台上で行なうことは良くない。しかし同時に、セリフや段取りが入っている/いない、というアンビヴァレントな状態こそが、俳優とも言える。との事だったと思います
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俳優である意識について、座学を進めながら、以下のようなゲームも行ないました。

★指差しゲーム(トラストゲーム)
俳優を歩かせます。コーヒーカップ、ぐるぐる回す意識で。砂糖混ぜても、粒子が混ざって行く意識で。空間を意識し、まんべんなく存在するように、歩き続けます。
・歩きながら、人を1人意識します(選びます)。
・講師の合図で、全員が目をつぶってとまります。
・その時、右手で意識していた人を指差せるかどうか。
※意識する人は、2人、3人と増えます。
狙い:意識の多重化、空間の把握など

★ピンポンパンゲーム
★ビンバンボイーン
*いまを感じるゲームとして、行ないます。
*自分の両隣の人を、じぶんの身体と考えて見るとやりやすいかも?


そして、ピンポンパンゲームから、呼吸の話にいきました。
ピンポンパンゲームができない俳優は舞台に上がらない方が良いだろう。身体がアクティブな状態をつくっていきましょう。


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所感:ピンポンパンゲームは、反射的な要素が多いゲームだと思います。頭でやっていては、ゲームのグルーブに追いつけない場合があるため、頭ではなく、今に全意識を集中させるといった方向性の話になっていきました。ここで面白いのが、呼吸の話に展開したことです。ここは追求するとかなり面白い話になっていくと思いました
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コミュニケーションゲームを少しやった後、実技に入りました。
とても短い実技であるからこそ、俳優のクセが如実に出てきますし、
俳優が演技をする上で、どういった事に気をつければ良いか、クリアーに見えてきます。


★驚く演技
驚く演技をどのようにやるのか。
出力だけを考えるのは、よくない。
ギアを外すと、上っ面になる。
だからこそ、呼吸で操作をすることが必要だ。
機械を用意すること。

★思い出す演技イズミヤ、りんご
*何を忘れたかわかっているけれど、忘れたフリをする演技。

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所感・補足:驚かされることがわかった状態で、驚く演技をする難しさ。(思い出すも同様)。一般的に俳優がやりがちなのが、「今の驚き方はいまいちだったから、もっと声を出して、動きも大きく、驚いてみよう」なのですが、田中さんが言う「出力だけで考えてはいけない」とは、まさにこういった状態のことなのです。田中さんは、俳優の話をされる時に、こんな素敵なギア玩具を持ってきて、出力と入力の話を説明してくれます。


つまり、全ては繋がっているということです。ギアだけ外すというのは、「驚く」における表面的なことだけをやってしまう場合を言っており、本来は「驚く」に至まで、様々なギアが絡み合っているから、驚く前の状態を意識していこう、といった話でした
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短い実技の訓練の後、アクション、リアクションの話になっていきました。これもギアですね。右のギアがまわるから、こちらのギアもまわる。

最後に、田中さんがおっしゃっていた言葉で、印象的だったものを書きます。この言葉を話されている時、田中さんは自分の出自も交えて話されていました。演技についての話なのですが、演技と人生を置き換えても、とても興味深いと思います。

演技にアクションは要らない。すべての演技はリアクションである。

2013年1月9日水曜日

「意識」するワーク

高槻で行なわれているスキルアップクラスの7回目。今日から講師が交代し、田中遊さんが本日から3回担当します。
 4人の講師がリレーで行なう体制になってから、講師を交えて時々ミーティングを行ったり、互いのクラスに出席したりしながら、講師それぞれの得意な部分を活かしつつ、どのような流れにするのがより効果的かを検証しています。
 そういうわけで、田中さんの講座はまずは座学からスタートしました。今までの2人の講師が行なったことを、もう一度頭で整理してみようということ、そしてその流れから「意識」について考えてみる為です。よく演劇のクラスでは「意識化する」と言ったりしますが、人の行為やしぐさ、心の状態やからだの状態、人との関係やその変化などを「意識」することで、演技で「表現」するときや、それを「再現」するときに役立てようというそれです。そして、まさにそれを改めて「意識してみよう」というわけです。
 本日の練習はその後身体を使ってのワークに移行したわけですが、そこでは主に「自分の身体」へ意識を向けることが中心となりました。意識するといっても、どの程度深く、細かく意識するかも大事な要素となります。恐らく今日の練習では、普段あまりしないぐらい、細かく「意識」してみたのではないでしょうか。
 ちなみに次回は宿題が出ています。座学だったり宿題でたり、まるで学校みたいですね(笑)。

 それと、京都でのスキルアップクラスの募集も始まりました。京都方面の方ぜひご参加下さい。クラスも内容もすこしずつグレードアップしています。詳しくはこちらに入って頂き、スキルアップクラスの募集ページをご覧下さい。